なぜ、イノシシを狙うのか。

旨い肉を

なぜ、イノシシを狙うのか。


イノシシ猟師をしている理由を、ふと思い返してみた。

なんでだろう、ってちゃんと考えたことはあまりなかったかもしれない。

 

生物として自分より圧倒的に強く、畏敬の念さえ抱く存在と勝負するのは恐い。同時に、気を抜いたらやられかねない程の緊張感のなかで勝負する瞬間には生きる実感があると思っている。狙った獲物を捉えるために入念な準備をして、洞察力を駆使してワナを掛け、掛かったイノシシを手にする。その時間を、僕が好きだからに他ならない。かといって、殺める瞬間には慣れないから、倒れたイノシシを前にして身体にふれながら胸のうちを言葉にする。迷いや惑いは、はじめて猟を始めた頃と変わらずこの胸の内にある。

 

知らずに涙がでる瞬間もあってどきっとすることがある。野垂れ死にするつもりは毛頭ないから、細心の注意を払っている。人に言われてやっていることではなく、自らの意思で、溢れる情熱と確かな覚悟に基づいている。

 

もうひとつ、大事な人たちにイノシシ肉を届けたいという純粋な想いがこの胸に在る。野性という過酷な環境で育ったが故にイノシシ肉が持つ力強さ、旨さ、脂の甘さには、とんでもない価値と魅力があると思っている。食材としての可能性を僕自身が強く感じているから、強い想いが生まれるのだと思う。

 

 

解体・精肉といった技術の習得は容易くはない。でもそれは、言い訳にしかならない。

 

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その一頭に対してどれだけ気持ちを込めたかなんて、見る目を持った人が捌かれた肉を見たら、ぜんぶ分かることだ。しかも、見抜く眼を持った人に限って黙っているから、指摘という可愛がりを頂けるように在ることも大事だ。それも、媚びずに生きるなかでそんな方に出会えたらしあわせだとおもう。

 

山へいく時間を0に削って街に行き始めたこの一か月半。何故イノシシを狙っているか、どのように手掛けているかを、これぞという人に肉と共に届け始めている。想いが通じる方と一緒に仕事ができそうな流れもあって、相変わらず臆病な僕だけどすこしだけ嬉しい今日この頃。