ぐっとくるかどうか

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ぐっとくるかどうか


高い意識と情熱を持って、とことん何かに打ち込んでいる人が僕は好きです。分野が違っても男でも女でも年齢が上でも下でも、そんな人に僕はぐっときます。何かをひたむきにやり続けられる人って、そう多くない。とことんやり続けて腕を磨きながら、結果を出し続けていく人って、そうそういない。結果を出し続けながら輝く人は、ほんと素敵だなって思う。同時に、その裏にあるだろうとんでもない努力を慮ると共鳴して涙が出そうになる。だから周りの人みんなにはできないけど、好きな人には自分に担える役割があればできる限りのことをしたいっておもう。素直な気持ちで。

 

強い探究心とすさまじい開拓精神と、ある意味で狂ったかのような妄想力と、それを実行して体現していくエネルギー。傍目から見ると奇抜なようでも、きちんと実態に沿った発想を産みだし、それを実際に幾度も試しながらデータの蓄積をして技術レベルを上げ、そして腕や指を含めた身体の感度を高めていく。汗だくになって失敗も怪我もして、目指す自分の型を作っていく。
その(型)は、僕でいえば獲物相手に(こうしたら、こうだから、こうなる)という単純なもの。たぶん誰が聞いても、なるほどって思えるほど単純なもの。現状のオオスズメバチ追い、ウナギ漁、イノシシやシカの罠猟の三つがそうかな。こうだ、と思えつつある。長かった、でもようやくここまで来れた。それだけの濃い時間を費やしてきたという自負がある。
クソ生意気な若造だけど、まだまだ登れると思うから登っていくけど、既に確かな手応えがあるからその先にいけると思ってる。自分がド変態の野人だと気づいているし、誰にどう思われようが、どう言われようが他人の視線はどうでも良い。

 

で、本題。最近ウナギ漁や蜂追いやら狩猟やらに関して、いろんな人からのコンタクトが増えてきた。その内容は技術を教えてほしいとか、一緒に行きたいとか。会ってもない人からの、丁寧さを欠いた品のない連絡。その対応に、そろそろ苦しくなってきた。その分野が生業だろうと遊びだろうと、愛おしい生き物たちと過ごす時間(自然に真剣に遊んでもらう時間)はワタシにとってとても大切で、その心を汲めない人と一緒に野山海川へ行くのはタイヘンなのです。

 

僕は師匠たちから習ったことはまずきちんと守ったうえで自己流の型を育ててきている(昔はできなかったけど、とくに最近は)。師匠たちと生半可な気持ちで接してこなかったし、自分のレベルを高めることでしか恩返しができないと思っている。そんな意識で必死に腕を磨いて培ってきた技術や場所は大切な大切な財産で、その重さを慮れない人との時間はなんだか疲れちゃうんだな。

だからね、つまり、この先ワタシは、単独か、仕事としてか、ぐっとくる存在の人と一緒にしかフィールドには出ない。それをね、正直に伝えておこうと思って。まだまだ青いケツした若造は、情けないけど譲れない部分があるのです。誰にでもお裾分けできるものではないみたい。ひとのことがとても好きなのだけどね。ごめんなさいこんな心情を吐露して、ここはそんな人ばかりじゃないのにね。ありがとう。