あつたやの役割

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あつたやの役割


自然のなかに身を置くというのは、僕らにとってすごく大切な意味や役割があって。その具体的な意味とか理由を僕はうまくことばにできないのだけれど、心穏やかにいい顔で生きていくうえでは、そんな時間があることがほんとうに大切だと感じている。
そして、巡る季節のなかでその時々の旬の恵みを、ご馳走を少しずつでも良いから身体に取り入れるってことが、私たちの身体をよりたくましく健やかにしてくれるんじゃなかろうか、って最近思う。
自然薯掘ったり、マツタケ採ったり、ウナギ獲ったり、テナガエビ捕ったり、イノシシやシカを狩ったり、ミツバチやスズメバチの巣を獲ったり、自然に遊んでもらうことを幼少のころから真剣にやり続けてきて、必要なときに必要な分だけ自然の素材を入手する術をこの腕に培ってきて。それは自分なりの役割を担いたくて、劣等感にもさいなまれながら家族の役にたちたい、認められたいという思いで頑張ってきたことではあったけれど。いまその価値の重さがわかってきたような、気がする。
それはいまの僕にとっては、この世の中に何があっても、この身体が朽ちない限り、自然があってくれたら自分の家族を餓えさせることはないという自信になっていて。この野人としての野性的なたくましさは、いま思うと真剣に気持ちを注いできてほんとうに良かったと思う。だからこそ、残す掟を守り受け継ぎ実践したいという想いは強い。

 

先日の15日で、岡山での猟を始めてちょうど8カ月。その間に126頭の猪と鹿を捕獲した。月に平均して15頭は獲物を獲れる技が備わったということ。逆に言うと、さらにギアを上げれば20頭を狙えるということ。これは、少なくとも僕の家族と周りの最低限の友人を食わすには十分に足る肉の量だ。その能力を死に物狂いで身につけて、本当に良かったと思う。
それだけの命を自らの手で殺めて精肉して出荷する行為は、とんでもなくエネルギーが要る。そのあまりの疲弊っぷりに、なんて凄まじい生き方を選んだんだと自分で驚きさえする。だからこそ、それを支えてくれる嫁さんと娘の存在は本当にありがたい。有難う。
そして、その時々の旬の恵みを自然からお裾分けしてもらって、そのおかげで英気を養えるのは僕だけじゃないはず。こんな生き方でさえ、きちんとやっていけるのだから、回復できるのだから、あつたやが手掛けたとびっきりのご馳走を世に届けたいよね。必要としてくれる人に、少しずつで良いから。