雨降り仕事
今日は、雨降り仕事。
罠猟師には、天候に応じたはたらきがある。晴れていて、間があったら焦らず罠を山に掛ける。まいにち見回りをして、獲物が居たら仕留めて山から降ろし、加工所で捌いて精肉して、熟成の度合いに気を配りながら、商品としてパックに詰めて、欲してくれる方へ発送する。その合間に加工所を清掃したり、道具の手入れをしたり。
雨だと自分の動物的な感度は落ちるし、けもの道を通ったイノシシやシカといった獲物の痕跡を辿ろうにも、強い雨足に邪魔されて情報が汲みとれない。こんな日に山で獲物の動きを調べたり実際に罠を掛けにいっても、確実性に欠ける。だから、割り切って軒下で雨降り仕事をする。
この写真は、獲物を獲って絡んだり傷んだワイヤー達。後ろにある赤い道具が、ワイヤーを切ったり、ワイヤー同士をカシめて繋いだりする道具。その道具に掛けてある、輪にしたワイヤーが修復を終えたもので、また山でセットして捕獲が可能な状態。
獲物を一本のワイヤーで獲る、くくり罠猟という猟法。その仕組みは、獲物に四本ある足のどれかを輪にしたワイヤーで括るというもの。少し書くと、けもの道の地表に輪にしたワイヤー(岡山県の規制では大きさが15㎝以内)を置いて、そこに足を獲物が置いた際に輪が締まれば足がワイヤーで括られる。輪の反対側は樹に結んであって、獲物はその樹を中心に暴れまわるという構造。輪を締めるには、縮んだバネが伸びる原理を使ったり、生えている樹をぐいっと曲げて、その樹がしなって反発して伸びる力を使ったり。猟師によって使うバネにはいろんな種類があるけど、輪を縮めて足を括るという原理は一緒。
一頭獲ると、ほとんどの場合ワイヤーは傷む。シカが掛かってもそこまで傷まないけど、イノシシが掛かったワイヤーはほとんど壊れる。さて、傷んだワイヤーは修復可能な部分に手を入れる。たいがいの場合、半分から先だけ傷むので、先を修復してまた再利用する。それでもどうにもならない場合は、思い切って破棄して新たに作成する。実際、獲ったら獲った分だけこうした仕事が増える。
この手仕事を自分でしないで、既製品を購入していたら手間は減るけど一頭捕獲ごとの経費がばかにならない。それとは別に、既製品を使っていて接続部分が外れて獲物に逃げられたら、情けないし悔しいし、傷つけて逃がしてしまった獲物に申し訳なく思う。さらに、それによる死傷を自身が負った場合、納得できないだろう。だから、自分が信頼するこの手を駆使して、修理したり新品を作る。
そうそう、釣りで使う針も私は必ず自分で結ぶ。便利だけど既製品は使わない理由は、経費ではなく自身の手痛い失敗に起因する。小学校の頃に、滅多に連れていってもらえない海での釣りで、ようやく掛けた大きな魚が、既製品である他人が結んだ針の、結んだ部分が抜けて眼の前で逃げていったという苦い思い出。たぶん似てる、このあたりの心理も。
話を少し戻すと、ワイヤーを使った括り罠猟において、ワイヤーに不備があるというリスクは、襲われた際の生死に直結する。だから余計に繊細な心配りをするのかもしれない。役目を全うして、ささくれだったワイヤーに手をいれるたびに、「よう頑張ってくれたなぁ。ありがとうよ。」、って気持ちが湧いてくる。それと同時に、自分で納得できる仕事をしたいな、って思う。少し明るくなってきた。雨が止んだら、また山に行こう。