マムシ

mamushi

マムシ


玄関の戸をガラガラと開けたら、ヘビの這う姿が目に入った。

 

買い物から帰り、片手で娘を抱いて古民家の戸を開けたら、土間をヘビが這っていた。野外ではなく、家のなかに、家族の生活空間にヘビが居る。そのことに対して半泣きになり、早く夫へ電話しようと思いながらよく見ると、マムシではない。これは確かに生きたヘビだけど、マムシではない。そうしてすこしずつ我にかえり、「お願いだから、早くここから出ていって下さい」と睨むと、裏口の僅かな隙間からそのヘビはのそのそと出て行った。

 

山から帰宅した私にそのことを共有してくれた妻いわく、そういう状況だったらしい。ヘビに対して「出て行って」と睨んだ妻の顔はどんなだっただろうかと思い浮かべたら、少しどきっとした。その感情はともかく、突然目の前にヘビが現れて怖かっただろうな。マムシじゃなくてアオダイショウで良かった、ほんとうに。

 

本土に生活するうえで遭遇する可能性のある幾種類のヘビの中から、妻が毒性と攻撃性を備えたマムシを判別できるようになっていること。そのことが嬉しかった。これは、マムシだ。これは、マムシでない。ヘビという生き物に対して恐怖を抱く精神状態は正常だ。そのうえで我を失うことなく、冷静に判断できたこと、それはいなかで生きるうえでは本当に必要な能力だ。そんな妻を、誇らしく思った。

 

いなかにはヘビが多い。マムシも多い。気付かない人が多いが、確かに周囲にマムシが居る。わざわざ自然の中に入らなくても、山際の古民家に住む以上、家の周囲で遭遇する確率は非常に高い。いつ出てきてもおかしくないと私は思っているし、実際に今年の8月の期間だけで家の周辺にて4匹のマムシを捕まえている。

 

マムシが怖い。とても怖い。あの色と面構え、飛びかかる速さを見るたびに恐怖を覚える。また、敢えて牙を欠かかして垂れる毒を嗅ぎ、あのニオイ覚えてからというもの。そのニオイを山入りの際に感じるだけで、近くにマムシが居ると分かってしまって心臓が縮まる思いをすることがある。長靴を履いているのに、一歩ずつ踏み出す足の周辺を、野性の感度を保ちながら凝視して歩いてしまう。自身が野性動物として行動してしまうくらいだから、それぐらいの感情を抱く相手が、自分の留守に家族と対峙したと思うとぞっとする。

 

私は、臆病で警戒心が強いタイプのヒトだ。それは、弱肉強食という生存競争の世界において淘汰されないために、そうなった。まいにち山を歩き、自然のなかに身を置く。自身で選んだ生業を成立させるための日々、その日常のなかで野性の感度を高く保たなかったら、命を落としかねない。それは、知っているからだ。我を失い、冷静な判断をできなくなったヒトという生き物ほど脆いものはないということを。だから、分かったような気にならないこと、きちんと判断し対処できる冷静さを保つことを大事にしている。同時に、相手の習性や気持ちを知る為に努力もしている。

 

その世界を自分だけのものとせずに、妻と共有していたことが、ようやく役に立った気がする。強い毒と高い攻撃性を持った生き物との遭遇。その際に、相手の存在に気づける警戒心と最低限の種の判別を含めた冷静な判断。そして、やられたときの対応策。

 

野性の一部にすぎない己を、弱者と認めて怯えながら生きようと思う。良いんだよ、臆病で。構わないよ、警戒心が強くって。野垂れ死にしないためだからさ。