鹿肉を売る、という覚悟

脂ののった夏鹿の鹿肉

鹿肉を売る、という覚悟


鹿肉を売れない。やっぱり、このままのレベルじゃ、僕の鹿肉は売れない。

 

彼が獲り、捌き、手掛けた肉のしっとりしたやわらかさ、噛みしめる度に出てくる旨みに叩きのめされた。きっとそうなんだろうな、と薄々感じてはいたけど同じ素材でここまで味が違うという事実に直面し、打ちのめされた。そしてあまりの情けなさに、涙が溢れだして止まらなくなった。悔しくて情けなくて涙が溢れるなんて、いつぶりだろう。彼はこっちを見ることもせず、ただ黙っていた。それは、個人で獣肉処理施設を建設し食肉処理業を取得し、獲った獲物を販売する設備と段取りが整った矢先のことだった。
野性の猪や鹿をある程度安定的に捕獲する能力が、あつたやに備わった。そしてその獲物たちは、個体差はあるものの、生育状態の良い個体であれば素材自体が持つ価値(肉としての質の良さ)が高いため、料理人からの引き合いが多く単価も高く取引される。そのため、この捕獲能力を活かし、野性の猪や鹿を獲って売ることで生業の一つにできる。そう考えて、今まで家族と友人が食べる分だけの獲物を狩っていた私が、職業猟師として本気で獲物を狩り、食肉処理と販売の許可をとるという道を歩き始めたのだった(2014年11月15日、岡山での猟開始、7月販売許可取得)。
狩猟歴は四年だったので、それまでにも自分で獲った野性肉を知人に食べてもらう機会はわりと多かった。野性の獲物であっても、捕獲したなかで良い個体を選び、血抜きから解体・精肉作業を丁寧に行うことで味や見た目を損なわずに上質な肉として提供できる。そのため、難しいことをしなくても素材の価値を落とさないだけの解体技術があれば、それなりに喜んではもらえた。それで、良い気になっていたのだろう。
しかし、捕獲頭数が100頭を超えたあたりから気づいてきた。鹿には明らかに肉質が良い個体と、通常の個体とが居るということに。前者はそもそも肉が良質で明らかに旨いが、後者は前者にくらべると味が落ちる。旨いけれど、前者には劣る。そういった個体差に加え、猪に比べて水分量が多いという鹿肉の特徴も肉質に影響を与えることを知った。商品にするには、肉質が安定しないということは致命的だと思った。許可をとったものの、このままじゃ自信を持って売れない。そう気づいていたから、東北まである猟師に会いにいった。
彼は自前の加工所で、獲った鹿を捌いて売っている。ただそれだけのことなのだが、肉質の安定さが群を抜いている。通常の猟師レベルではなく、良質な肉として鹿を流通させている男。彼と初めて出会ったのは震災直後のことだった。東北で復興支援をする友人が、何かできることはないかと現地に行った僕を引きあわせてくれた縁が始まりだった。そのとき、そこでなにかできたわけではなく、実際は被災した土地でたくましく生きる人たちの力強さに勇気づけられてしまったのが本音だった。

ところで、当時の僕は、狩猟免許をとる直前で、獲物の獲り方も肉の処理方法もきちんと分からず、ただ強い猟欲だけを持ったハナタレ小僧だった。判断できるレベルに達していないのだから、彼の技術の凄さはちっとも分からなかったし、教えてくれた技もうろ覚え。しかし、そのときに食べさせてもらった鹿肉の味と強い旨みだけは覚えていた。それは、極端なほどに鼻の感度が高く臭いを気にするという彼のサガでこそ成し遂げられた技かもしれない。
あの味に近づきたくて、泊りがけで会いにいったのが今年の7月20日。そして食べさせて頂いた肉の味は、想像を遥かに凌ぐものだった一方で、その技術の重みに気づけるレベルにようやく自分も達していた。だからこそ、泣きべそかいて諦めて、尻尾を巻いて逃げかえる訳にはいかない。なにがなんでも、そうなってやろうと思った。できるかできるかなんて知らないし分からない、でもやりたいからやるんだ。ただ、それだけの気持ちだった。
そして岡山に帰り、教わったことを全てまとめた。疑問点はとことん電話での通信教育を受け、来る日も来る日もそのことを考えた。

 

「分かったような気になるな」と幾度も叱られた。

「探究心と情熱がどれだけあっても駄目な奴は駄目だ、センスが要る」と言われた。

「でも俺にできるんだから、お前にもできるかもしれないな」とも言われた。

 

そして昨日(記事を書いているのは8月15日)、一頭の鹿を獲った。彼の言う通りに、全く同じ手法で手掛けてみた。そしてきょう、業務用の冷蔵庫を開けて確認した。手がけた鹿の肉を前にして、その美しさに手が震えた。いけるかもしれない、このままやり続けたら、いけるかもしれない。そう思えた。頑張ったら、売れるレベルになりそう。初めて、そう思えた。

現状に満足してるやつが、ぶっ飛んだ世界を、常識を凌駕した世界を見れるはずがない。そこに届くはずがない。二年前、猟師の千松信也さんと、鷹匠の松原英俊さんという方とフォーラムで一緒に登壇させて頂いた。その際に松原さんが言っていた。

 

「狂気にも似た一途な想いを胸に抱いて生きろ」

 

その意味が、ようやく分かってきた気がする。