(生きる)、を地でいくということ

11725498_851141911639912_1273744131_o

(生きる)、を地でいくということ


近ごろ、本気で働き始めてとても充実している(職業猟師としての夏鹿ワナ猟)。今までいかに楽をしてきたかが分かるし、やった分だけ成長が感じられて、真剣に働くが故に出てくるいろんなつらさも自然と受け止められるようになってきた。真剣に働くことがこんなにも楽しくてつらいのか(良い意味で)、と初めて知った。

 

でも、耐えられないほどのつらさもある。先日、罠猟の最中に小ダニの巣窟へうっかり侵入。あっさりと全身30か所以上ダニに喰われて、いまのこの痛痒感たるや。嗚呼。
おそらく、青葉で見通しも悪く毒虫や障害も多い夏山に入って猟をすることにはすこしだが無理がある。でも夏のシカ肉はとんでもなく上質だ。その旨み、素材の価値を落とすことなく入手しようとしたら、蚊に刺されても、ダニに喰われても、マムシがいても、スズメバチがいても、顔にクモの巣がねちゃりとはりついても僕は山に行くのだ。僕の手がけた獲物を心から待ってくれる人がいる限り。
空の飛べない私が、空飛ぶハチを追い続けてきたことで得たものは大きかったようだ。狩猟という獲物の足跡、痕跡がくっきりと残る世界に足を踏み入れて五年目にして、オオスズメバチ獲りより格段に早く自分の型を持つことができた。あとは伸ばすだけ。

 

地域は、獣害にひどく悩まされている。(あったくんよ~、ハチのことはいいからちょっとでもイノシシやシカを獲ってくれーよーーー)と移住した一年前に地元のおんちゃんに言われたくらい、農作物や山を荒らされて困っている。若くして本気の猟師が村に一人いると、その地域の獣害は確実に減る。それは確かな事実だが、誰かのために生き物を殺めることはできそうにない。旨い肉を獲りにいく、という自らの意思で、僕は山に足を向ける。
自分の本領を発揮できる世界において、きちんと我が能力を活かせるという嬉しさと充足感。また、その技術によって得た肉の販売という生業で家族を養えるかもしれない、という可能性。その結果として地域の役にも立てるという喜び。しかし、自らの手で生き物を殺めるという生業を持つことに対して感じることはいろいろとある。

 

まだオオスズメバチやイノシシのように、明らかな殺意を持って私のことを殺しに来てくれるほうが楽かもしれない。お互いの命を懸けて真剣に対峙し、やるかやられるかという勝負のうえで仕留めるするほうが楽だな、と思う。あのつぶらな瞳でこちらを見るかわいいシカを獲るのは、エネルギーが要る。
この手で命を奪う、血抜きをする瞬間というのは慣れることはない。殺すことが好きで猟をしている訳では決してないから、心臓がぎゅっとなりながらも、より上質のお肉にするために獲物に対して手を抜かずに向き合っている。素材としての価値を落とさぬように尽力しつつ、自らの手という責任において真っ直ぐに向き合う以外に何ができるのだろう。

 

とびっきりのご馳走を心から待ってくれる人、そして確実な獣害減少を求めてくれる人がいなかったらもたないかもしれない。だから、そんな存在がほんとうに有難い。